山本愛子・プロフィール

002エネルギー&ボディセラピスト

スピリチュアルアロマスクール&サロンスペース
Extreme You代表

セラピスト養成コース・レイキ講座
などのスクールの詳細はこちら

|今までの人生

東京都八王子市生まれ。
1歳で横浜に引っ越す。
小学生からパレーボールを中心に、
たくさんのスポーツをしてきた
活発な少女。

その反面、家庭環境は、とっても複雑で、
小学校3年生には、
記憶を消したくなるような日々を
過ごしてきました。

父親は、1日中祈っていて、
社会脱の生活。
親の夫婦仲もとっても悪く、
取り立て屋からの催促なども
頻繁な状況下。

高校生の時には、
あまりの精神的な苦痛から、
毎日のように耳鳴り症状のおこる日々。

今思えば、小学校3年生から
成人するまでの私は、
暗い深い闇へ中で暮らしていた
そんな感覚さえあります。

社会人になり、一般的な大手企業に勤め、
25歳で結婚。
ようやく平凡な生活ができるかと思うや否や、
長女が3歳、次女が1歳の時に離婚。

精神的な苦痛から、毎日のように下痢が続き、
体重も30キロ台まで激減。

当時、専業主婦をしていた私は、
養育費も収入もゼロ、
もちろん仕事もない状況…。

悩んだ末
以前からどこかで手に職をつけたい
と思いを貫き、それで2人の子供を
育てていこうと決意。

お客さんとして通っていた
アロマトリートメントの
サロンの門をたたき、
先生に直接頼み込んで、
2002年の夏より施術レッスンを開始。

今思えば、その先生がエンパス
であったことが私へのエンパス
への道を開いたことにもなります。
(ただ、当初私の知る限り、
先生はエンパスである自覚は
なかったと思います)

レッスン終了後、
経験のあった事務職を続けながら、
2年間ほど見習いという形で
経絡アロマトリートメントに
携わり、勤務。

その時からマクロビオティック食事療法、
東洋医学、バッチフラワー花療法などを学び、
6年ほど福岡で過ごした後、
次女が小学校に上がると同時に
横浜へ引っ越す。

いろいろな現場を経験した いとの思いも
あり、東京と横浜の整体院で勤務。
その間、
ナードのアロマセラピストの資格を習得。

2008年、沖縄の龍の洞窟を訪れ、
そこで数回の禊ぎを行った末、
2つの男女の龍が空高く舞い上がり、
その瞬間、
大量の涙と共に心身への深い浄化
がおこりました。
今でもあの瞬間は心に焼きついています。

それからというもの、
スピリチュアルへの覚醒が起こり、
不思議なことを数多く体験していきました。
末期の癌患者さんへ毎日のように送り続けた
遠隔ヒーリングもその1つ。

現実的にヒーリング世界を学び、
レイキマスター、レイキティーチャーを習得。

このレイキティチャーを教えて頂いた
先生がきっかけで”エンパシー”の本
に出会い、本格的なエンパス人生の
スイッチがオンに。
今までの経験が全て腑に落ちたそんな
感覚もありました。

また、2年間通い続けたインナーチャイルド
のセッションでは
今までとは異なるスピリチュアルな世界、
領域を広げて貰ったように思います。

その後、様々なワークショップにも
参加。その1つが日本行われた
エサレン合宿。
とっても感動し、
エサレンマッサージを本場で学ぶことを
望み、渡米。

2013年 4月より
カリフォルニア州の
インターナショナルスクールに通い、
語学を私なりに学んだ後に、
11月アメリカのエサレン研究所にて
ボディとマインド、スピリットを繋ぐ
エサレンマッサージプラクティショナー
認定資格のトレーニングを開始。

2014年3月に取得。

この体験も、思春期の2人の子供たちを
残し、ングルマザーの私が渡米するの
は、とっても不安 ・恐怖と向き合う、
勇気のいることでした。

周りの人々の支え合っての今と!
感謝の気持ちが強まります。

現在、エンパシー能力(共感能力)を開花
するセラピスト養成コースやレイキ講座
ティチャー養成を行うスピリチュアル
アロマトリートメントスクールを主催。

個性あるセラピストやヒーラーが
世界に増えることを心より願い、
それが平和に繋がるとまで、熱く
信じています。

1456321695995|資格歴

国際バッチフラワー協会レベル1資格取得
(H17 6月)
国際バッチフラワー協会レベル2資格取得
(H17 10月)
ナードアロマテラピー協会 アロマアドバイザー認定書取得
(H20 9月)
アロマヘッドマッサージコース認定書取得
(H20 10月)
現代霊気法 初伝 奥伝 神秘伝 修得
(H21 3月)
レイキヒーリングシステムティーチャー認定書修得
(H22 3月)
ポールシェリーフェイシャル 認定書取得
(H23 8月)
エサレンマッサージ プラクティショナー認定書 取得
(H26 3月)
続くо(ж>▽<)y ☆

|message

絶大な信頼をおいているイーシャと共に
行うこのレインボーソウル塾。

一緒に進行していくと、それぞれの視点から
アプローチしていくため、
エネルギーがどんどん拡大していく。

そして、そのエネルギーが幾度となく、
心地よい地点で交わる。

その地点は、
他にはない学びを深めていくエネルギーをも
生み出していく。

私たちに共通するところ、
それはこの生涯を通じて、探求心を
持ち続けるだろう事、
そしてホンモノ好きという事、
ではないかと私は感じています。

そんな私たち、「話すと普通だね」と
言われます。

このレインボーソウル塾、本格的な
ヒーリングを学ぶ場であると共に、
穏やかな憩いの場である!
そんな時間・空間をみなさんと
一緒に過ごしたいと思っています。

自身の可能性を開きたい、見つけたい、
自信をつけたい、生活をより快適にしたい…
それぞれの想いを現実的とすることに
熱い私たちのモトにぜひ一度いらして
みてください。

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川村イーシャ・プロフィール

PL1
チャネラー&ヒーラー
Pranava Life代表
シャーマニックジュエリーMWANGA and MCHAWIプロデューサー
個人セッションの詳細はIsha Inner Wisdom

|メッセージ

Isha(イーシャ)とは、サンスクリット語で探求者という意味です。

26歳の時、意識的に初めて、スピリチュアルな門をくぐってから約15年、私は、まさに「探求者」のように、この道を歩んできました。当時の私は、絡まり合った感情にがんじがらめになっていて、毎日をどう生きていっていいかもわからないほどでした。

苦しみを解決したいという思いで、私のスピリチュアルゲートは開かれました。ですが、この道を歩み続けるうちに、私たちの本当の望みとは、目の前の苦しみから逃れたり、社会的な成功や、他者からの承認を得たりすることではなく、その先にある魂の自由と喜びであることに気がつきました。そして、その時から、私の人生は、輝きを増してきました。

悩みを解決したくて学んでいたヒーリングは、新しい自分を感じたいという喜びを目的にするようになりました。魂はすべての体験を祝福しています。

その大いなる喜びに触れたときに、私たちの本当の人生がスタートすると信じています。

|私の歴史

1997年 大学在学中に、インド(コルカタ)にあるマザーテレサの施設で、ボランティア活動に携わる。亡くなる2週間前のマザーと出会い、マザーに触れられた瞬間、生涯忘れられない神秘体験する。

2000年 上智大学外国語学部フランス語学科卒業後、音楽関連会社へ就職

2002年 激務が続き、心身ともに不調に陥るが、その休養中、運命的にニール・ドナルド・ウォルシュ氏の「神との対話」と出会い、魂の真実に触れる衝撃的な体験を通して、精神世界への扉が大きく開く。その後、ニール氏率いるHT JAPAN(ヒューマニティーズチーム・ジャパン)での、メールマガジンの翻訳活動に携わる。また、不思議な縁によって「アミ小さな宇宙人」で知られるエンリケ・バリオス氏と直接交わしたメールで、魂の道を歩むことを心に誓う。

2005年 結婚後、助産院にて最初の出産を体験。

2006年 出産直後の乳腺炎、産後うつ、娘の食物アレルギー、発達障害(PDD)など、子育ての壁にぶつかり、更に深く 自分の内面を見つめながら、様々なヒーリングやセラピーを体験する。

2007年 それまでも自然に行っていたチャネリングが、突如、意識的なものになったことで、背中を押されるようにヒーリングの仕事を開始。同時に、更に内観を深めることと、メディテーションが、ライフワークとなっていく。

2009年 ホメオパス助産師のサポートを借りて、長男を横浜の自宅で出産。

2012年 次男を湘南の自宅で出産。

2015年 1月11日にMa Chandra Ishaというサニヤスネームをテイクする。Chandraは月、Ishaは探求者。月の(陰の、女性性の)探求者。それまで9年間活動母体としてきたUNEELENという屋号を閉じて、Pranava Life(プラナヴァ・ライフ)を開始する。個人セッションは、Isha Inner Wisdomというセクションで行っている。

IS028

|マザーテレサの思い出

大学2年の時に、初めてインドに一人旅。 コルカタにあるマザーテレサの施設で、
10日ほどボランティア活動に参加しました。
それは、マザーが亡くなる半月前くらいのことでした。
マザーは、車椅子で私たち参加者の前に現れました。

マザーに駆け寄る人たちの群れ。
私は、なんとかマザーの姿だけでも見えないかと、
少し遠慮気味に後ろの方に立ち、背伸びをしていました。

マザーは自由のきかない身体で、手を伸ばしながら、
群集一人一人の頭を優しくなでていました。
マザーは私以外の全員の頭をなで終わったようでした。

私は、まだ一人後ろに立ったまま、
マザーにかけよることができずにいました。
「マザーは私には気づいていないかもしれない」
「病気のマザーに負担をかけてしまうかもしれない」
とさまざまな思いが駆け巡っていました。

すると、マザーがこちらに向かって手招きしているように見えました。
まさか、一番後ろに隠れるように立ってる私を呼んでいるの??
と、私は戸惑い半分、期待半分で、おろおろしていました。

マザーの車椅子は群集より一段低い位置に据えられていて、
小さなマザーの身体では、
一番後ろの私に気が付くのは大変なはずでした。

ですが、マザーは、しっかりと私を見てくれていたのでした。

突如、群集の視線が私に集まり、皆に背中を押されて、
私はマザーの前に進みました。

「good girl」と、優しくか細いおばあちゃんの声で、そう言って、
マザーは優しく私の頭をなでてくれました。

その瞬間、今まで体験したことのないような溢れ出る感情とともに、
大粒の涙がこぼれてきました。

それまで誰にも存在を認めてもらえなかった愛に飢えた小さな子供が、
初めて誰かの愛にふれたかのようでした。

私は、小さな子羊そのものでした。

20年近くがたちますが、瞑想でも、セラピーでも実生活でも
あの時以上に泣いたことはないように思います。

「愛の反対は、無関心」と高校時代に繰り返しシスターに言われた言葉を、
私は身をもって体験しました。

帰国後、数日してマザーの訃報を知り、
半月前の出来事が、嘘のように感じられました。

ボランティア活動では自分の未熟さを知り、
それは人のためじゃなくて、自分のためだと気が付きました。

炎天下で汚物のついた洗濯物を洗いながら、
「不幸な人のために幸せな私が何かをしてあげている」
と感じていた自分のエゴに気がつき、
情けなくて、涙が出てきたこともありました。

おもちゃの宝石をつけた無邪気な老婆と、子供のように戯れながら、
ここでは、みんながマザーの子供であると感じました。

大学生活のことは、ほとんど記憶にない私ですが、
本当の自分を少しだけ体験できたこの記憶は
一生忘れられないものです。

私はDoreen Virtueのオラクルカードのマザーの顔が、とても好きです。
厳しく強い女性という印象が強いマザーですが、
そのカードの表情は、 子供のような無邪気な喜びをたたえているように思います。
まさに皆の「母」であったマザーは、 亡くなって神の子に戻ったのだと、感じました。

|銀河の署名

KIN120 黄色い電気の太陽(Yellow Electric Sun)

[白い太陽の魔法使い]の年 スペクトルの月 27日(金)
キンの書
—————-
私は照らす(啓発する)ために活性化する
生命をつなぎとめながら
普遍的な火の母体を封印する
奉仕の電気の音で
私は開花の力に導かれる
私は極性キン 私は黄色い銀河スペクトルを確立する

BOOK of KIN
—————-
I activate in order to enlighten
Bonding life
I seal the matrix of universal fire
With the Electric tone of service
I am guided by the power of flowering
I am a polar kin-I establish the Yellow galactic spectrum